今、ボーゲル塾という塾のために中曽根康弘の勉強をしています。読めば読むほど、僕には歴史観だとか、政治観といったものが足りてないのが分かる。物理を通じて、一人の学者として、時代の潮流だとか、世界にある大きな存在、といったものを感じることは多くなった。ずっとそこにいたけれども、隠れていたのっぺらぼうの顔をした世界がぬぉ、っと現れた感じだ。それでも、政治家の持っている「世界が動くイメージ」というものは程遠く、全く持って、歴史や政治の有識者に対する尊敬の念が足りてないと思う。これはよくない。最低でも、有識者に対しては心のそこから敬意の念を抱けるぐらいの知識と経験をいつも持ち合わせていたいものだ。違う世界観を自分の尺度で測ろうとするのは実に奢った態度である。なおかつ、一学者としてはそのような批判的な態度は常に持ち合わせていなければならない。常に謙虚になり、努力をし、知識を蓄えることによってのみ、この矛盾へ立ち向かうことができるのだと思う。しかし決してその矛盾はなくなるものではないのだとも思う。