HCAP設立の思い出

 初めまして、北川 拓也です。こんな文章を書くのは卒業文集ぶりですので、卒業文集みたいな話を書きたいと思います。HCAPの立ち上げについての話です。

 「やるべきだ」、灘校の先輩たちにそういわれて僕(当時大学三年生)と城口(当時大学一年生)は2006年にもう一度、HCAPの東大プログラムを立ち上げることにした。一年前に、一度僕は立ち上げに失敗していた。高校の同級生や、東大の知り合いに声をかけ、プログラムを立ち上げるべくハーバードのHCAPに対して申請書を出したのだけれども、中国やインドの、政府のサポート付きのプログラムとは、資金面でもプログラム面でも見劣りし、無惨にも落とされた。
 プログラムを組むとしたら、何をテーマにすればいいのか。当時ようやくハーバードに慣れてきた僕が真っ先に考えたのは、大学に入ってから受けた大きな世界観の変化だった。世界の色が違って見えるほどの大きな体験。想像ができないため、影響力が未知な体験。今でも僕が追い求めているような、そんな体験をプログラムの中で作り出せないか、そう考えた。体験はあくまで主観的なものであるから、プログラムとは、その主観の感性が最高潮に達するような枠組みを作る事が目的。特に短期のプログラムでそれほどの体験を生み出すためには、場や状況の特殊性を最大限に利用しなければならない。そして人間が最も大きな影響を受けるのはやはり人間である。ハーバード、東京現地では一週間のプログラムでも、その半年前から友達とプログラムを作る事で一緒にだべって、いらついて、喜んで、誰かを好きになって、そのクライマックスとして、一週間が存在するべきだ、そう思った。
 同時に教育プログラムとしての側面も与えたかった。ハーバード生と東大生の最も大きな違いは、アウトプットを形にできるか、という点にあった。ハーバード生は資金集めから、プログラム構成まで、どんなに白紙から初めても、一通り形にする。事実、HCAPというプログラムもそんな「形」の一例だ。こういったプログラム立ち上げの体験は全体として、素晴らしい教育プログラムとして存在しうるのではないかと思った。資金集めの中で、大学生にはあまりない、社会人やビジネスマンとの交流もできてくるだろう。僕がそうだったように、そんな「大人」の世界でプライドが折られ、人間丸くなるなんてこともあるだろう。その中で大学生になるまでは見えなかったような、新しい価値観を獲得してほしい。友達を作ってほしい。ってか俺が友達作りたい。
 そうやってHCAPの立ち上げは進んだ。東大側では城口が先頭に立って話を進めた。重要な資金繰りは大人たちの協力も貰い、僕と城口が挨拶に回って調達してもらった。熱意は人を動かし、その当然の帰結としてお金も動く。彼らは僕らの生き方に投資してくれてるんだと、そう感じた。プログラムの善し悪しは二の次で、僕らは可能性を示すのが大切なのだ。
 実際の第一期のプログラムは嵐のように進んだ。冬に一期生がハーバードにやって来、春には僕らが東大にいった。ハーバードでは秘密結社の建物の中で酔っぱらって吐いたやつもいたし、HCAPの中で大恋愛をしたやつもいた。東京では寝ないでぴかちゅーの着ぐるみを来てカラオケに行き、翌朝には築地にいってみんなで寿司を食った。京都では滝に打たれたやつもいたし、そのあとは富士山でゴミ拾いもした。僕の祖父はプログラム中に亡くなり、葬式に参列した。プログラムは僕という人生の中に位置し、その中で僕はプログラムを全身で堪能した。フィナーレに後輩の園田にバンド演奏してもらいながら、先輩のS先生に熱唱してもらった時、ぴかちゅーの中で踊り狂ってた俺は思った。あぁ、このプログラムは、自分自身が参加したくて仕方のなかったプログラムだったんだなと。
 大学も卒業し、大学院も三年目を迎え、大きな幸せも、どん底のような気持ちも、色々体験してきたが、その中でもHCAPのプログラムはまた格別だった。HCAPという活動が参加する多くの人にとって、そんな体験であったらいいなと、僕は思う。そうやって一年楽しんだら、今度はOBの間でもっと楽しいプログラムを一緒に立ち上げよう。いつでも連絡ください。

北川 拓也