久しぶりの

 アルクの日記が終わってから、僕は何も書かなくなった、と思う。ひたすら事実を列挙することが多く、それ以外の記述には何か「潤い」といったものを感じなかった。

それは自分の生き方への完全なる満足感、充足感からくるものであったか。
それもあったが少し違う。

中井のいうような、価値観の違いというものを嫌というほど感じ取り、ニヒリズムに走った結果であったか。
やはり少し違う。

それでは、「もっと悪いこともありえたんだ」という可能性に対する絶望感、無力感からくるものであったか。
そればかりではない。

幸せの中にあり、渇望感、というより、むしろ文字通りの「喉の渇き」を感じなかったか。
それもないともいえない。

非現実的なほど、幻想的であったが、同時に生々しかった、HCAPの余韻か。

今後彼らと、君らと、交じり合うことがない岐路を長く歩いてきた孤独感か、やるせなさか、つまらなさか。それともそれを形にしないことで、それを避けようとしていたか。

単に考えること、書くこと、憧れることに疲れてしまったか。ほっといて欲しかったのか。自分自身の「individual」といったものに徹底した生き方に嫌気がさしたか。かといってそれを自己批判する気もない。

だから ただただ「順ずること」に携わりたかったのか。

色々考えるところはあった。でも出すことはなかった。あくまで楽観的で、実存的であったが、生きれば生きるほど五年後は暗く、見えにくくなってたのかもしれん。その考えに対しては審理といったものはなかった。それが理由なんやと思う。







いや、でも今思った。やっぱりお前らがおるからなんちゃうか。どうでもよかってんで、そんなこと。