最近はほんのちょっとずつやけど自分という人間を改善しつつあると思う。なんてこった。俺、頑張れ。俺、やるやないか。これを乗り越えたときにまた誰かを好きになれたらなと思う。最近は家族が好きです。僕が求めてるものは家族の中にあったのかもしれない。父親を反面教師に考えて生きてきたのが中学、高校時代だとしたら、今の僕は父親のあの絶対的な優しさをまなぼうと、誰かの中に求めようとしているのかもしれない。

 後輩のきぐちが受験をちょっとしくったらしい。なぜかひたすら俺に「ごめんなさい」と謝っていた。彼のHEROは、僕が昔よく見せていた、価値観の理想像にある。今でも僕が持っていた価値観が間違っているとは思わない。今の日本にはあれほど高尚に、力強く生きられる人間が必要なのだ。あの価値観をもって日本を引っ張れる人間を、日本は必要としている。きぐちはそういう人間にきっとなってくれるはずだ。頑張れ、きぐち。

 おすぎに「やってやれ」とメールを送った。おすぎは「やってやる!」とメールを返してきた。感動した。なんでもかんでも価値を相対的に見る人はこういう、人間の優越なんかはつけれない、と。それは「正しい」論理かもしれないが、正しい論理からは何もエネルギーは生まない。やってやる、この一言を具体的にいうことのできないやつなんてくそくらえだ。勝手に自分を正当化すればいい。俺は聞かない。

 僕はこういわせてもらう。「やってやる」といえるやつはすごいやつだ、と。自分の正しさに迷ってるやつがいたら俺がいってやる。お前は正しいと。やってやれと。僕はHEROのために悪役になってやる。やってやれ。