おお

もう既に帰国二週間前だ。ということは期末が一週間後。意外とテスト休みは短かったです。
 今日は数学のクラス対抗フリスビー。今日は走りました。走るだけ走ったけど、やっぱりフリスビー、飛んでこなかったら意味ないよね・・・。

 サッカーでもよくフリーランをする僕ですから。最近、もうちょっと頭使って走った方がいいということに気付きました。とくにボールもらうとき。昔からディフェンスをしているので、ディフェンスの勘は割りと冴えるようで、走ったらそこにボールがくるわけですが、もらう方はてんでへたくそで、誰もボールをくれない。もらっても走りつかれてコントロールできてない。と、サッカーの話を書いていたらサッカーがしたくなってきました。 

 ひょんなことでおかのブログなんかを見つけてちょっと読んでみたのですが、そこで改めて思ったこと。僕はなぜに物理と数学を勉強するのか。

 もちろん面白いからには違いないのですが、面白い面白い、というぐらいで気楽に、時々やったり、やらなかったり、パーティーにいったり、時間ないねん、とかいってたりしてもなかなか数学のエキスパートにはなれません。やはり、やったんねん!みたいな妙なモチベーションをもって、自分をちょっと押してやらなければ、もっと深い面白さにはたどり着けないわけです。だから時には、なんか飲んだりして遊びたいなー、セックスしたいなー、とか考える時があったとしても、これといった理由もなく数学をやってる、しかもごりごりやってる、ぐらいの根性がなければいけません。そしてある閾値を越えると、コンスタントに数学をしてて、数学にどっぷりはまり込む、ほかの事をするというのがまず考えられない、という状態にまでもっていけるわけです。まぁ、そもそも数学は面白いですし。
 ハーバードの卒業生で、物理学科、かつ、それなりにやってきた、みたいな人間ならば(そしてそれでも物理の落ちこぼれならば)Wall streetに勤めることができます。収入は並じゃないです、やっぱり。だからお金をそこそこに稼ぐというのはハーバード卒であれば難しくありません。もちろん、年収を三千万越そうと思えば、ちょっと頑張らないとだめそうですが。経済の学位でもとっていれば多分ビジネススクールにいったりして、難しくはないかもしれません。
 それに比べて物理と数学の世界というのは実に割りにあわない努力を必要とされます。はっきりいって、物理、数学の研究者は学校に通っていたときも、そして働いている時も、ものすごい時間を仕事に費やしています。それだけに彼らの知っている世界というのはどでかく、ちゃんと勉強したことがない人間には絶対に知りえないものなのです。そういう点では、んーちょっと真面目に物理でも勉強してみよっかな♪という学部生と、うぉーー!みたいな院生、研究者の間には一つ、大きな隔たりがある気がします。とはいえ、ちょっと真面目に勉強してみよっかな☆という態度は大いに歓迎されるべきもので、少しでも多くの人にそういう気持ちになってもらい、そこから素晴らしい数学と物理の世界を垣間見せてあげれれば、というのが僕の将来の目標です。僕はその前にもっと僕自身が勉強しないといけないですが。

 数学と物理が自己完結なもので、きわめて自己中なものだ、ということをおかが言っていたとすれば、それは当たっているかもしれません。ただ、そこには自分の人生と世界観を大きく変える(言葉でいうと安っぽいですが、その真意は、コカインぐらいのドラッグをやってみないとわからないと思います)ものが存在する、という意味で、数学と物理はそれらの学問を本気で勉強する人間にしかわからない価値がある、ということだけ言っておきましょう。でもこれらの学問は「そっか、俺、興味ないから。」とか人に言われると、それで終わってしまうという寂しい可能性を秘めています。お願いだから僕にはそんな寂しいことは言わないで下さい。