Dear Mr.18


なんとなくコメント、とかいてあるところをクリックしてみたら、意外とここには、Qの友達がのぞきにきてるらしい。そんなランダムな人たちが、僕の書いた文章を読んだりしてくれるのは、なぜか嬉しい。まぁ、英語の長ったらしい文章を読む奇特な人は多分いないと思うので、日本語の文をのせてみようかと思う。ちょっと長いですが、よかったらどうぞ。コメントもご自由に。村上春樹好きは大歓迎です。

 「No.0」

僕にとって「それ」は必然的だったのだ。僕は「僕である」という意味において、すでにこの世で唯一つの、ユニークな存在であるから、例えば「運命的であった」という表現も許されるのだろう。それでも、もしもそれが起こらなかったら、と考えることが僕に胸騒ぎを起こさせる、ということは、たとえ僕が唯一の存在であったとしても、この世界はあくまで僕とは独立に存在している、ということを僕は心のどこかで信じているからだ。
 今振り返って思うに、「それ」はいくつもの現象の集まりであったに違いない。波のように、時には打ち消しあい、時には強めあったりして僕の前に現れた。そして多かれ少なかれ、僕は「それ」を素直に受け入れてきたし、結果的にそれが僕にとってよい結果をもたらした。
 僕は今から、「それ」について話そうと思うが、「それ」はとても入り組んでいて、簡単な論説文であらわせるものではない。だから今回は今までになかった形での「小説」として表現したい。ここに表現されているものは端から端まで、フィクションであり、ノンフィクションである。
僕はこの文章で、ある一線を越える自己表現を試みた。たとえ僕にとても近い存在の人でも、この文章を読んで「それ」が何だったかを感じ取れるかどうかは分からない。あえてそのような婉曲した表現を用いたのは、本当に「伝えたいこと」は、はっきりと言葉にしてはいけないからだ。
僕はこの文章によって、確かに伝えたいことを表現しえた、と考えている。時にはあまりにも抽象的で、比喩的な部分もあるが、それは適当に解釈してもらったらいい。結局僕にとって問題なのは、いかに表現「できた」かであり、実際にそれが伝わるかどうかではなかったのだ。
 

「夏の終わりと、神と留学と」


季節は夏の終わりのことだった。今となっては季節を意識し、それぞれの季節を様々な感情で愛でるようになっているが、その頃はスポーツにばかり没頭し、季節の移り変わりなど、気にしたことも無かった。だから夏である、という記述は今付け足したことだ。とにかく、夏の終わりのことだ。
 その日、僕はいつもと違い、学校からテニスをせずにすぐ帰った。僕が中学に入る直前にできたコンビニで普段かわないコーラと、いつも買っているポテトチップスを買って家に帰った。僕がテニス部を休むということはこの三年間なかったことで、でも僕がきまぐれを起こすということは週に二、三回はあることだった。その日、僕は僕と対談をした。もちろん、その頃から僕は何人もの「僕」を自分の中に用意していた。自分が独りよがりにならないための、自己欺瞞に陥らないための、僕なりの工夫だった。

 ―君は大きなものになりたいんだよ
  大きなもの、大きなもの。うん、きっとそういうものを目指しているんだ。でもビルゲイツとかアインシュタインみたいな「天才」は信じられない。僕には彼らは偶然の産物のようにしか見えないんだよ。そんなもの、僕に目指せるはずがない。

 −でも君は知っているだろう。君は何か行動を起こさなくてはならない。
行動、行動。東京に行ってみて分かったよ。僕は世界の、人間の存在の一部しかみていないんだ。世界はもっと、精神的、文化的意味での広がりを持っているはずなんだと思う。でも今は、それはぼんやりとしたイメージでしかない。僕はそのイメージを明確にするために、何か具体的な行動をとろうと思う。そう、行動、努力だ。

―でも急すぎる、そう思っているだろう?
 思う?思わない。人生の転機は突然やってくる、そう本で読んだ。僕の場合はそれが内側から、必然としてやってきただけなんだ。僕は簡単なイメージや思い付きを真剣に考える。結局やりたいことに因果関係は必要ないんだ。イメージとか直感は周到な努力と思考力をもって補ってやれば、いつでも強い武器になる。そして今から僕はそれを証明する。

―努力に挫折は許されないよ。
 挫折、挫折。今回は大丈夫だよ。僕はこの努力に人生をかける。見ててごらん、きっと僕はやりとげる。自分自身を疑っちゃいないさ。


  そして僕は留学することにした。留学というものの響きはいつも大きな可能性を秘めているように思えたし、僕には留学をするだけの時間的余裕が十分にあるように思えた。何より、歴史上の立派な人物は必ず留学しているものなのだ。ましてやこの現代では。でも僕にとって何をするか、なんてどうでもいいことだった。僕に人生の転機があの時期に訪れた、ということが必然であり、それが留学であった、というのは偶然だ。人はよくこの部分を勘違いする。必然か偶然かなんて、その本人が決めることで、始めから決まっていることではない。だから僕は、神がダイスを振ったとしても、結局出る目を決めるのは神なんだと思っている。でも僕は神なんか信じちゃいない。

「僕の考え(謙虚、仕事倫理)」

とはいっても僕はやっぱり偶然の産物だとか、イメージだとかが嫌いだったから、何か具体的なものを求めた。それは学問を楽しむことであったし、英語の勉強をすることでもあった。それらが自分のものになるにつれ、僕は自分の決断の正しさを確信するようになり、自分に圧倒的な自信をつけるようになっていった。
 僕はいつからか、自信を心のよりどころとするようになった。

僕は昔から自分が強いのだということを信じて疑わなかったが、それは単に、弱い自分が、自己への信仰の後ろに隠れて見えなかった、というだけだった。それに気づいたとき、僕は自分への自信が崩れてしまったときのことを思って、怖くなった。恐らく、そのことをあまりにも真剣に考えてしまうと、あっという間に僕という存在も崩れさってしまうのだろう。だから、僕は何も考えないことにした。

おそらくそれまでの僕はあまりにも冷めた気持ちで世界を見ていたに違いない。僕は学問がその本当の様相を見せるにつれ、自分は学問だけでなく、世の中のありとあらゆることを何も知らないことに気付かされた。15歳の中学生が世の中を知らないことは、あまりにも当たり前の事実であるが、その頃の僕は微笑してしまうぐらい(僕は衝撃的な出来事を微笑で迎え撃つ、という癖がある)圧倒され、驚いたものだ。やはり誰がなんといおうと、十五歳の子供は何も知らないのだ。この事実は僕を適当に謙虚にしたが、逆にその事実を知っているということそのものがまたさらに僕に自信をつけた。僕はそんな幸せな人間である。

 謙虚、ということについて、僕は幾度となく考えた。一般的には人間は謙虚であるべきだ、というのは古くから伝わる、日本の考え方であるし、親から何度「上には上がいる」と聞かされたかわからない。ただ、僕はその事実をあまりにも当たり前のものとして受け止めたため、一番上を目指すことを止めていたように思える。中学の頃でも、平均点が100を超えるようなやつらと競うのはばかげているように思えたし、彼らには一生勝てないものなのだと思っていた。しかしそれは間違っていたのだと、今は断言できる。人は誰にも負けたくない、という強いプライドのもとで勉強に励み、エリートとしての地位を固めていくべきなのだ。自分より優れたものを尊敬する最も謙虚な態度が、その人物を超えようとする、傲慢な態度を産む。過去の日本人で優れた人たちはきっと、人間に対して謙虚であったわけではない、と思う。彼らは生の学問に対して、その奥の深さと美しさに圧倒され、その学問の前において謙虚であったのだ。こういった考えは今でも僕の中で強く息づいている。しかしたちの悪いことに、時にはその考えが僕に本当に傲慢な態度を取らせたりする。人間というのはバランスが難しい。

 とにかくこの頃、僕は「謙虚」に、がむしゃらに、勉強した。毎日五時間は英単語を覚え、学校の登下校中に洋書を読み、辞書の上で寝た。インターネットで英語の学習法について学ぶ傍ら、つまらない目標から大きなモチベーションを生み出していった。その頃の僕にはできないことなどなかった。人に英語を学ぶのに何十年とかかるのだ、といわれても、僕には一年後に迫った留学までに英語を仕上げる自信があった。そこには僕はいつか、自分の限界まで努力をしてみなければならない、という人生観も混じっていた。僕の能力に限界があるとしたら、それは早めに知っておくべきだし、逆に自分の限界はそんなに低いものではないということも重々承知していた。とにかく、自分ができること、できないことを知らずして、満足な大人になれるわけがなかった。

 このような人間の仕事倫理だとか、宗教だとかいうものは、いつも個人的なもので、語られることは少ない。それはおそらく、人間は成功しない限り、その倫理観(すなわち思考の論理回路)がもてはやされることはないからだ。いや、きっとそのような倫理観は読むことで身に付くものでは決して無いからだ。
倫理観はある個人の中で、ある必然として存在する。すなわち、人間の生き方とは、ある一定の期間においては同じ行動原理に基づいている、ということだ。その行動原理は理由とか理屈なしに、一種の精神的モチベーションとしてそこにある。僕はその精神的モチベーションこそが、人間を高みに連れて行くものであり、それは人間の内部から来ているという意味において、最強なのだ、と考えている。

「イメージ、女の子」

秋が過ぎ、冬がきたが、この頃について覚えていることといえば、ハリーポッターを読んだ、とういことぐらいだ。小学生以来久しぶりにフィクションの世界にはまり込んだことはとっても印象深かった。
この頃、女の子とこんな会話をしたものだ。その女の子はとっても幻想的な感じで、神秘的な魅力に包まれていた。そうでなけりゃ、僕はいきなりこんな話をしたはずがない。
「ねぇ、あなたは何を読んでいるの? 私に話しかけようともしないで」
ハリーポッターだよ。とってもスリリングで面白いんだ。」
「きっと現実の方が面白いわよ。そんなのフィクションでしかないじゃないの」
「そうだね。でも君も君自身のフィクションの中に生きているという事実は否定できないだろう?君は僕に何故話しかけてこないのかと聞いた。僕はそんなこと考えもしなかったけど、君には「バスの中に同じくらいの年齢のお互いに知らない少年少女が二人だけ座っていたら、その二人は知り合って恋に落ちる」というイメージがあったに違いない。そのイメージはそれ自身でとっても美しいものだし、その可能性を想像することにより得られる幸福な感覚は決して偽物ではないよ。人間はそういった幸せを大切にして生きていくんじゃないかな。小説はそういったイメージを提供してくれる場所なんだ。だから僕はイメージという観点では現実の人生もフィクションも等価だとさえ思っているよ。」
「なんだか一歩引いたような小説の賛美の仕方ね。ということはやっぱり人生とフィクションは違っている点もある、っていうことでしょう?」
「もちろん。僕はその二つは明らかに違っているべきものなんだと信じてる。そもそも、フィクションは人生の台本でありうるとしても、その逆はありえないからね。人生はいつも舞台なんだ。舞台では何が起こるかわからない、そうだろう?」
「そうね。私があなたに話しかけたのも、一つのハプニングかもね?」

 僕は彼女の機知に富んだ返答が大好きだった。もちろん、僕はこういった出会いから恋が芽生えるという素敵な、陳腐な出来事を期待していたのだ。

 なにはともあれ、僕は一心不乱に勉強をしていたし、心の中には留学のことしかなかったから、あっというまに冬が終わり、春が過ぎた。あっという間、という感覚に、僕はなれていない。だからいつでもあっという間だったな、と考える時、それは本当にあっという間であったか、過去を振り返ってみる癖がある。そうしてみると不思議なことに、自分のやったことに見合う時間が過ぎたことに気付く。あっという間、という感覚は、人間はやりたいことに見合うだけの時間をそもそも与えられていない、という根本的な事実からやってくるのだ。

 僕が留学のことについてまた色々書くと思っただろうが、そのつもりはない。留学中に起こったことはなんとも普通極まりないことだったからだ。絵に描いたような留学、そういってもらっても差し支えは無い。とにかく、僕はこの頃、留学した。行ってきます♪

 「やりとり」

留学中にもバスの中で会った彼女とメールを何度か交換した。もちろん、メールは毎日チェックするものだから、内容は重々しくなりすぎず、かといって五秒後に訂正が聞くものでもなかったから、軽率なものでもなかった。つまり僕らはいい感じでメールをやり取りしたのだ。

Dear boy

こんにちは、お久しぶり。元気にしていますか?きっと今もあなたはあなたらしく、本を読んで「フィクション」を自分の中で作り上げているのでしょう。ところであなたが奨学金を受けられなかったということをきき、さぞかしがっかりしているだろうと心配に思いました。ただその話を聞いたとき、私には実感が沸きませんでした。あなたが挫折するなんて、私のフィクションの中にはなかったから。どんな気持ちでいるか、よかったら教えてくれませんか?

 Dear, girl
 
 奨学金のことだけど、僕もびっくりしたよ。でもこれは僕にとって挫折のようには感じられなかったな。奨学金みたいな審査にはいつも人間の不確かさが入り込むわけだし、僕が奨学金を得られなかった、という事実は僕が彼らの選考基準に合わなかったというだけのことなんだよ。自分の弱さを認めたくないんだろうね。同時に僕は、弱さを認めることにはなんの価値もないと思っている。エリートはエリートらしく、気丈に生きていくべきなんだ。誰にも負けないHero、ってな感じでね。
 ところで僕はアメリカで人間と交流することの難しさを知ったよ。人間には、相容れない、なんてことがあるんだね。僕は今まで、それを知るにはナイーブすぎたみたいだ。

 Dear, boy

なんだかあなたらしい説明の仕方ね。Hero,か。あなたは自分を正当化したいだけじゃないかしら? でもありだと思うよ、そういうフィクション。
 あなたは本当にナイーブなのね。人間はあなたみたいに論理の塊じゃないの。あなたが毎日相手しているのは感情の塊、文化の塊。育ちが違うだけで話題も違うし、ましてや外人よ。それでも楽しく交流していく術、っていうのが大切なの。あなたならどうするのかしら?

 Dear girl,

不思議だな、君に「あなたは自分を正当化したいだけなの」なんていわれても腹がたたない。僕は君に対して、とっても寛容みたいだ。これが君を遠い存在と見ていることの結果でなければいいけど。
 僕は彼らと選択的に付き合っていくことに決めたよ。つまり本当に大事な、話のできる友達を作ることにした。毎日「彼女と携帯をおもちゃにして遊んだ」みたいな話をしているやつらと遊んでいても仕方ないからね。
ここにきて僕はより勉強するようになった。気付いたのは僕が学問について無知であった、ということだ。学問は、特に科学は本当にきれいに秩序付けられて教えられているものだね。改めて一から英語で教科書を読んでいるとそのことに気付くよ。それに理解していることと同じくらい記憶していることは大事なんだ。日本語できっちり覚えていないことは英語で読んでも昔勉強したことだなんて、しばらくしないと気付かない。数学だって証明を忘れてしまったら、ここでは人に聞いても答えが返ってこないから、その定理を正しいと確信できるまで、本当に大変な思いをしないといけない。体系的な知識、というのは理解と記憶が一つになって初めて得られるものなんだと学んだ。これからは少し勉強の仕方を変えないといけないな。でも僕は恥じることはないんだ。本当に勉強しはじめて、まだ一年しかたっていないんだからね。

 こんな具合に、僕は彼女に自分が学んだことを抽象的にではあったが、逐一伝えた。そして彼女は不思議なぐらい、それらを理解してくれた。いや、もしかしたら彼女は分かった振りをしていただけなのかもしれないが、彼女はとにかく、僕が語ったことについて適切な返答をしてくれて、僕が自己を放出する場を設けてくれた。彼女はもう「Busの中の女の子」ではなく、「思想を享受する女の子」になったのだ。でも同時に彼女の存在は現実味をなくしてしまっていたのかもしれない、とあとになって思った。

 

 「帰国」

 そうこうしているうちに一年がすぎ、僕はホームシックにかかる暇も無く帰国した。 
 帰国後、僕は何かしらのむなしさを感じてもおかしくはなかった。留学のために一年英語を勉強し、その目的だった留学が終わったのだ。でも実際の問題としては僕は新たに見つけた学問の楽しさに惹かれていたし、恐らく、留学する前から留学後のことを考えるぐらいの頭はあったのだろう。僕はこの帰国という事件をいち早く察知し、それをすんなりと乗り越えた。あまりに何事もなかったので、僕の友達はきっと、あまりの変化の無さにびっくりしたに違いない。

 しかし帰国した僕が留学する前と何も変わっていないわけがなかった。いや、かといって変わった、というわけでもない。僕は自分自身がどういった点について変わったか、ということについて、定性的な理解をもっていたし、逆カルチャーショックだなどと騒ぐほど、俗っぽいものが好きなわけでもなかった。
 自分が変わった、と思っている点について述べるべきだろう。僕は以前よりはるかにシビアに人間を判断するようになった。しかし同時に自分自身に対しては甘く判断するようになったのだ。いつも自分に対して厳しいのが僕だったし、そうであったからこそ、周りの人間は僕という存在を許せたのだと思う。僕は僕自身がジェルのようなものでできていて、僕の周りの殻が僕の中身である液体を少しずつこぼしていってしまっているような思いにとらわれた。それは何か大事なものを失っているという感覚だったし、また同時にエントロピーの拡大のように自然な現象とも感じられた。人間は成長するにつれて規律正しくなっていくのが理想的だが、時には成長するにつれねじの緩め方を覚えるものなのかもしれない。

 「僕に起こったことと、混乱」

 そんなもんだから僕はその夏、へろへろ歩いているうちに百円玉を見つけ、それを拾おうとしたところ、急におちてきた金槌に胸を打たれてへこんでしまった。その胸を直そうとへろへろと病院にいったらいかにも、といった感じの看護婦さんに注射を打たれた。胸の痛みはなおったものの、今度は注射されたところが腫れてきてしまった。やっとお医者さんに診てもらえると思ったが、なんだかその病院にいるのもあほらしくなって、出て行ってしまった。これも人生かと傷口をなめていたら傷がひどくなったから、ほおっておいたら、時間が経つにつれ治った。Time will tellなのだとウタダも歌っていたような気がする。
 
 「あなたはきっと、疲れていて、とっても混乱しているのよ。」
 とバスの中で出会った女の子はいった。
 「そうなのかな? いつになったら混乱が直ると思う?」
 「分からないわよ。もしかしたらそれは時間的な問題ではないのかもしれない。ねぇ、解決策、ってわけじゃないんだけど、あなた、私の家にきて勉強する気はない?私の家、なかなかいいわよ、暖炉もあって、暖かくて。何より私の家には沢山の本があるの。」
 「うん、僕には問題はないけど。」
 「もうすぐ秋だから、夜の時間が昼の時間より長くなったらきなさい。おいしいとんこつラーメンを用意してあげる」

 僕はそんなにラーメンが好きな方ではなかったが、何故か、その時ラーメンが無性に食べたかった。そして僕は彼女の家にいった。とんこつラーメンはとってもおいしかった。食べることに喜びを見つけ出したのはこのときが初めてだったかもしれない。
彼女の家にいる間、僕はずっと部屋に引きこもって本を読んだ。食事は彼女が運んできてくれたし、トイレやお風呂は部屋についていたから、何も不自由はしなかった。それに肝心の本は彼女の言っていた通り、部屋に所狭しと並んでいて、いつになっても読み終わる気がしなかった。疲れたらミスチルやうただの歌を歌ったり、ブラットピットが出ている映画を見たりした。

 彼女の家で過ごした時間はとっても不思議だった。そこで一冊本を読むたびに、その本の世界が僕という人間の記憶を通りすぎて、純粋な知の世界を写しだしてくれるようだった。何より、その体験は何一つ漠然ところがなくて、自分が確かに生きていて、喜びを覚えているというはっきりした感覚を持つことができるのだ。僕が今まで学んできたことは本当に僅かではあるが、ぼんやりと学問の存続してきた理由というものが分かるようなきがしていた。人間は幸運にも、好奇心という共通の才能を手にし、同じ「学問」に対し、同じだけの価値を見出すことができる。言葉や文化が違う人間同士が共通項を持つことができるという事実は、奇跡のように感じられたし、過去の科学者たちがその共通項が見せる普遍性に神の存在を見出したのはごくあたりまえのことだと思えた。今では科学がそのように美しい姿を見せる理由については考えないようにしているが、時には「ある論理体系ではその論理体系の矛盾を証明することはできない」という数学者が証明した定理を思い出しては、科学とは神の創造ではなく、逆に人間自身の創造とも言えるのではないかとぼんやり考えたりするのだ。

 
 そんな風に学問に触れている間は不思議と僕の心は落ち着いた。俗世界の雑多な出来事を全て忘れて、数式をいじっていればいい、という生活は僕に心の平穏をもたらした。時には僕は混乱が直った、と思うこともあったが、やはりそれは錯覚で、一時的なものでしかなかった。僕はこのまま学問に亡命していていいのか、分からなかったが、それは世間体から見ても決して悪いことではなかったから、その生活を続けた。僕は数学者なら、何も悩むことはなかっただろうが、あいにく、僕は彷徨える子羊であったから、時々横道にそれたりした。そして横道にそれるたび、古傷がいたんだ。そんな時、僕は歌を歌い、涙を流した。僕はいずれにせよ、この古傷を背負って生きなければならないのだ。

 僕という存在が唯一のものである、ということには二面性がある。一つは自己をユニークである、と認識することで自分の価値を高めようとすること。そしてもう一つは、自分とは結局、誰とも「同じ」ではなく、限りなく孤独な、分かってもらえない存在なのだ、ということだ。
僕は、あの家で過ごした日々で気付いたように、人間よりも学問という、有機物から抽出した無機物のようなものに強く引かれる。それだからなのか、僕はいつも内面を向いており、人間の、僕のやわらかい部分にはっと気付かされる。そして僕は時々思う、唯一であることの負の効果はあまりに大きすぎて、ある人には抑えきれなかったのだ、と。

 でも、と僕は思う。でもとんこつラーメンが食べたい。僕らは理解されないとかの難しい理屈を受け止める必要なんかないんだろう?僕らはやわらかい部分を隠して生きているんだろう? 僕は思い悩むより、むしろ「とんこつラーメンが食べたい」という簡単な、誰にも迷惑をかけない欲求のもとに生きて行きたい。そして僕の欲求が変われば、僕の物語もまた変わるのだ。


「ending」
 僕がこの文章を書き終わった直後に思ったのは、これも若気の至りなんだろう、ということだった。僕は各駅停車の電車に揺られ、「とんこつラーメンが食べたくなる」駅についただけなのかもしれない。でも僕はこの文章に、書きたいことが書けた、といういくらかの満足感を感じている。
一番初めに述べたように、この文章は理解されることに重きは置かなかった。しかしながら僕の友達がそれぞれの方法で、この文章を楽しんでくれたらな、と思う。