ここ数日はわりとだらけている。より人間らしく遊びながら、の生活。こんな生活は楽でいい。ただ僕が今まで得てきた数学や物理に対する理解力はこんな生活をしていたのでは得られないものだ。
 
 勉強するというのはどういうことなのかを良く考える。問答無用にやることを求められる学問が僕の目の前にある。ごちゃごちゃいってないでとりあえずやりなさい。それができないなら学者になるのは諦めなさい。僕は未だに人間らしく生活することと学問を学ぶことのバランスをうまくとれずにいる。僕の性格と、僕の学問と、僕という人間と。他人には決して理解のできないバランスがここにはある。僕は何がしたいのだろう。

 努力することは偉いことではない。これは経験上の事実。便宜上の事実。必然的な事実。客観的な事実。誰が努力するという言葉の意味をしっているのか。キミは僕の努力を知っているのか、僕はキミの努力をしっているのか。だから努力することは偉いことではない。

 では僕は何故僕自身をこのシチュエーションに置いたのか。ここに来てみればいい。キミは僕の体験しているものを知るだろう。ここで求められているものを知るだろう。でも今僕とキミの間には乖離が存在する。

 生きるということの意味が存在するとすれば、学問はそれを軽視することを求めるのか。軽視した先に存在する何かがその意味を変えてくれるのか。僕の見ているモノはその意味に触れつつある。それは一般的に言って、ではなく主観的に言って、ということ。

 今、僕の求めているものが相反する二つの極に存在することを知る。でも一つの極は見方を変えれば意外ともう一つの極の近くに存在するのかもしれない。それはS^3 を R^3に埋めようとした時のinfinity pointのようなもの。僕は惰性と熱意から学問を追いかける。もう一つの僕の求めているものはどこにあるのか。それが僕という存在とcompatibleであることを切に願う。

 僕には家族がいる。その事実はなんとも嬉しい。

 yutenとは違った悩み。でも同じ悩み。どの悩みも主観的で、観念的であるけれども、どの解決法も具体的である必要がある。人間はa prioriにモノを考える存在で、post prioriに幸福を求めるものなのだ。そうあればいい。Let it be. 僕はそれに従う。あとは祈るだけ。傷つくだけ。夢見るだけ。寂しがるだけ。Let it be.