受験とは

 数学や物理ではパズル(問題)を解く能力とシステムを理解する能力の両方が必要とされる。どちらもとても大切であり、双方が身について初めて、僕らは各科目の理解を深めることができるものであるから、二つを分けることに意味はあまりない。具体的にいえば、定義とその定義の裏に隠れたモチベーション(なぜそのような定義をするのか、など)を理解するのがシステムを理解するということで、その定義を使って、定理を証明したり、簡単な具体例を解いてみることがパズルを解く能力だ。定理を証明することはそれ自体がシステムを構築し、理解を深めることになる。そしてその証明方法を知ることは、問題を解くツールを増やすことにもつながる。(Trivialな例としては、実数がcountableでないことの証明につかう、対角議論)
 受験というのは、そのうちで、パズルを解く能力を試すことで、生徒の全体の能力をみよう、という試みである。しかし、結果として、高校はパズルを解く能力ばかりを教え、その裏にあるシステムをあまり教えない。僕はパズルを解くのももちろん好きだが、システムを理解することの方が遥かに面白いと思う。もし大学で学ぶような数学をもっと早いうちにしっていたら、もっと数学を勉強していただろう。そしてシステムをしっかりと理解すれば、パズルを解く能力の大切さ、そしてそのパズルを解く能力がいかにシステムを理解する能力につながっていくかを知ることができたと思う。高校の教育はその意味で、本末転倒のものとなってしまっている。